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編集部×大阪あそ歩 まち歩き企画第2弾!
喜連環濠コース〜街中に開かれた古代・中世の扉を巡る〜
本誌11月号特集ページでご紹介した、大阪あそ歩とのコラボ企画まち歩き「喜連環濠コース」が去る11月15日(日)に行われました。
当日は定員15名を上回り、STAFFを含めた総勢25名までに膨れ上がる盛況ぶり(笑)
今回“街中に開かれた古代・中世の扉を巡る”喜連散歩のガイドを務めたのは喜連村史の会 白川代表と橋本さん。
現役大学講師として教鞭を取る白川さんによるアカデミックな知識に裏打ちされた解説は理路整然でありながら、どこか飄々とした語り口に参加者の皆さんは「ホ〜、へぇ〜」と熱心に聞き入っておりました。
環濠跡を埋め立てて作られた道は水が流れていた事を容易に想起させてくれる緩やかなカーブを描き、順調に各ポイントを巡る喜連散歩。
そして町歩きも中盤に差し掛かった頃、喜連村史の会さんから参加者へサプライズ・プレゼント。
普段ではなかなかお目にかかれない旧家の佐々木家住宅(分家)を見学させて頂きました!
喜連環濠は規模的こそ平野郷の半分程ですがその歴史はチョー古く、古代は古墳時代にまで遡るとか。
環濠の西側はかつては古墳地帯でその名残も現存していますが、付近の住民達の多くはその事を殆ど知らないという事実・・・。
本当は地元の皆さんに一番知って欲しいところですが(参加者の殆どは平野区外の人々)今回の企画を通じて外部(区外)へ喜連の町の素晴らしさをアピールできた事には間違いありません!
失われつつある古き良き町なみや伝統を残すべく、未来へ伝えるべく活動している喜連村史の会の皆さん。
彼らによる地道な歴史的掘り起こし作業は自らのルーツを辿る旅でもあるのかもしれません。
会独自の町歩き企画も度々行われているようなのでそちらも是非とも要CHECKするべしっ!!
ガイドを務めた白川さん。
(寶圓寺 住職/喜連村史の会 代表)
喜連村史の会(事務局:寶圓寺)
6709-6056
喜連3-8-24
http://kiresonsi.web.fc2.com/
ガイドサポートの橋本さんを先頭に地下鉄喜連瓜破駅をスタート!
第一のポイント南口地蔵を経由して長橋家住宅へ。
現在では枯れてしまった庭の「大楠株」は戦前まで阿倍野方面から喜連を目指す目印になるほどの大木だったそうだ。
次のポイント馬倉地蔵へ向かう途中の「服部地蔵」にて。
作り醤油屋旧服部邸敷地にあったものが現在の地へ移設されたとか。
馬倉地蔵の目の前にある「佐々木家住宅」(本家)。
母屋は安永期(1772〜81)の頃だとか。
門は“馬乗門”といわれる馬に乗ったまま入れる高さがあるんだって!
平野区最古の小学校「喜連小」にて。
旧字「池ノ内」、江戸期頃は池で埋め立てられたそうです。
東口地蔵前にて。
環濠の水は写真奥(東側)から手前(西側)に向かって流れ、ガイドの白川さんが立っている付近で南北に分かれていたとか。
尻矢口地蔵にて。
白川さんの手には戦前の喜連環濠の様子の分かる写真。
予定のコースを外れ、サプライズポイントへ!
ジモティならではの路地裏を通るのも町歩きの魅力の一つです。


遂に佐々木家住宅(分家)内部へ潜入!
屋根には竈(かまど)の煙を出すための越し屋根(煙出し)が設けられています。



漆喰の剥がれ落ちた土塀が歴史を感じさせます。



立派な手入れの行き届いた庭も公開して頂きました。
庭内には祠も建てられており、正に旧家邸宅といった趣きに一同感心する事しきり!

楯原神社を通り、旧喜連村の本丸こと如願寺さんへ。



特別ガイドとして山本住職登場!
周辺の字地名から考えると如願寺さんが中心となっている事がわかるそうだ。

如願寺さんを抜け、外れたルートに戻るの図。
向かって写真右手が「喜連幼稚園」。
旧境原神社跡(古墳跡)にして旧字名は「松山」と呼ばれていたとか。



喜連幼稚園々庭の榎の古樹「お父さんの木」は現在に唯一残すかつての名残・・・生き証人。
もう一本銀杏の大木もあったそうだが園舎を建てる際に伐採されたのだそう。
喜連環濠の北端に位置する「北口地蔵」。
中高野街道に面し、旧喜連村の玄関口でもあった。
西口地蔵を通り、最終ポイントの「お姫さんの井戸」へ。
陽も少し傾き始め、予定の2時間を少しオーバーしたところでフィニッシュ!
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